波太宮
八幡宮
相殿に鎭㘴す
鳥取莊の㹅社也
波太社は鳥取氏の祖神角凝命也
末社に天湯河板擧の社あり
八幡宮はむかし神㓛皇后新羅を征して凱陣し給ふ時務古水門より紀伊國に詣御舩を鳥取の玉津に繋ぐ
武内宿禰皇子を懐て海岸に遊ふ
後其地に社を建て祭る
今買掛邑指出杜其地也
中頃波太八幡の両社を南山の下に遷して相殿に併せ祭る
神宮寺は神光寺といふ
行教和尚の開基也
波太神社延喜式内に入
今に見る波太神社
波太神社

波太神社鳥居
所在地 大阪府阪南市石田167
位置 北緯34度20分38.5秒 東経135度14分41.7秒
主祭神 角凝命、応神天皇
社格等 式内社、旧府社
創建 不詳
本殿の様式 三間社流造
例祭 例祭(10月第2日・第3月曜日)
波太神社(はたじんじゃ)は、大阪府阪南市にある神社。式内社。旧社格は府社。
歴史
創建年代は不詳であるが、鳥取部の姓を賜った天湯河板挙が祖先の角凝命(つのこりのみこと)を祭神として波太の地(現・阪南市桑畑)に祀ったのが当社の始まりであるという。
日根郡10座のひとつで式内社である。鳥取郷の総社で「鳥取大宮」と呼ばれていた。
室町時代初期に兵火により焼失し、現在地に移転した。この際、同じく焼失した貝掛神社(現・指出森神社)の祭神である応神天皇を合祀したことで、当社は「波太八幡宮」とも呼ばれるようになった。
天正5年(1577年)に行われた織田信長による紀州征伐の際には信長の本陣が置かれている。
天正13年(1585年)に行われた羽柴秀吉による紀州征伐の際には、根来寺方とみなされて焼き討ちされて全焼している。
慶長5年(1600年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として社殿を再建している。
しかし、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の際に徳川方に焼き討ちされて全焼した。
その後、本殿は寛永15年(1638年)に再建された。
江戸時代には、紀州藩主・紀州徳川家が参勤交代の際に紀州街道から当社を伏拝(遥拝)できるよう「伏拝の鳥居」が建立された。以降、熊野詣参拝者は当社に立ち寄らずにここから当社を伏拝することが流行する。
明治時代になると、府社に列せられている。
祭神
・主祭神 – 角凝命(つのこりのみこと)。この地方の豪族であった鳥取氏の祖神。
・相殿神 – 応神天皇
境内
・本殿(重要文化財) – 寛永15年(1638年)再建。
・山神社 – 祭神:大山祇命
・三神社(重要文化財) – 祭神:神功皇后、武内宿禰、天湯河板拳命(あめのゆかわたなのみこと、鳥取氏の祖)。寛永15年(1638年)再建。
・拝殿 – 1935年(昭和10年)再建。

拝殿
・石灯籠 – 慶長5年(1600年)に片桐且元が寄進したもの。
・庁屋
・舞台
・社務所
・門神社
・厳島神社
・鳥取神社 – 祭神:天忍穂耳命。もとは山中神社の祭神であった。

鳥取神社
・拝殿
・鳥取戎社 – 祭神:八重事代主命
・拝殿
祭事
・例祭 – 10月第2日・第3月曜日
文化財
重要文化財
・波太神社
・本殿
・末社三神社本殿
大阪府指定有形文化財
・波太神社三十六歌仙扁額 36枚
交通アクセス
・南海電気鉄道南海本線尾崎駅下車 徒歩20分
・尾崎駅よりバス波太神社前下車すぐ
・JR阪和線和泉鳥取駅 徒歩15分
アクセス
